楞厳寺について

 

  文殊山(365m)と楞厳寺(りょうごんじ)は、「越の大徳」といわれた泰澄  

 大師が養老元年(717)に開き、文殊菩薩を本尊としている。

 

 楞厳寺は、泰澄大師が元正天皇の病を祈願平癒したことから、文殊山に

 五台山の号を賜り、勅願所となった。さらに足利尊氏や朝倉家の祈願所と

 なった室町時代・戦国時代に最も繁栄し、配下17坊と末寺36カ寺

 120坊を擁する大寺だった。

 ところが、

 戦国時代末期の織田信長の兵火や一向一揆によりことごとく破却された。

 

 江戸時代には、福井藩主や家老・狛氏の支援を受けたが、封建制度末期

 より衰退し、明治から昭和の初めにかけ無住になるなど衰微したまま

 現在にいたる。

 

 楞厳寺には、平安時代の後期(藤原期)の文殊菩薩、北条時頼が寄進した

 十一面観音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来はじめ県指定文化財の弘法大師

 座像などが安置されている。

 

 文殊山は、古来から山岳仏教の中心的存在で越前五山(別ページで紹介)

 の中心に位置する。

                     

 小文殊(こもんじゅ)の室堂には阿弥陀如来、大文殊(おおもんじゅ)

 本堂には泰澄大師ご自作の文殊菩薩、奥の院には聖観音菩薩が祀られて

 いる。

 

 大文殊には「金剛岩」、奥の院には「胎内くぐり」の大岩があり、金剛界・

 胎蔵界の両曼荼羅世界を表しているとみられる。

 

 大文殊を中心に戦国時代の山城「文殊山城跡」も現存する。

 近年、大文殊山頂から約4300年前の縄文土器片や古墳時代の土器片が

 発見され、仏教伝来以前から信仰の山だった可能性すら出てきている。

 

 さらに、山頂には陰陽五行の青龍、白虎、玄武などを示す五神の岩や石が

 配置されていることも指摘されるなど、謎の多い聖地である。

 

 毎年4月25日には文殊山と楞厳寺で文殊祭りがあり、前夜の24日夜は

 山頂に文殊菩薩の「文」の文字を電飾で描く「児の火(ちごのひ)」が

 点灯される。

 

 豊かな自然を今も残すのも文殊山。

 自然豊かな「花の山」として知られ、随所にあるカタクリ群生地が彩る

 ころには関西・中京方面から団体客がどっと詰めかける。

 日本海側では文殊山だけというヒロハノアマナなど絶滅危惧種も多い。

 ニホンカモシカやタヌキ、キツネ、テン、イノシシや時にはツキノワグマ

 も顔を見せる。

 鳥類も多く探鳥も楽しく、昆虫採集やキノコ狩りも楽しむことが出来る。

 「幻のヘビ」ツチノコも生息しているそうです。

 

 

                 楞厳寺住職 徳毛 裕彦氏 談より